そのひと手間が街の価値を上げる
世に舞う花粉が俺の鼻をうずかせる…ふもぱん先生(他称)です。
先日、私が住んでいる家の前にゴミが捨ててありました。
ポイ捨てされたゴミは日常的に目にするもので、普段は見過ごしてしまうのが正直なところです。ただ、今回は集合住宅とはいえ、自分の住んでいる家の前。これはちょっと気になります。あなたならどうしますか?
私は「あ、やだなぁ。」と思いつつ、実を言うと、見かけた日は急いで外出する途中だったのでそのままにしてしまいました。誰かが処理してくれるかも…風でどこかで飛んでいってしまうかも…などと心のどこかで思っていたのでしょうね。
しかし翌日になってもゴミは鎮座していました。雨が降った日のゴミだったので、重くなっていた様子。良心のある人も濡れたゴミをさわるのは嫌だったのかもしれませんし、重くなって風で飛ばされることもなかったようです。
街の価値は、そこに住む人がつくる
私はふと、以前父が話していたことを思い出しました。
「道にゴミが落ちていると、街の価値が下がる。」
そう言って、父は道端のゴミを見かけるたびにゴミを拾い、コンビニのゴミ箱に入れたり(本当はダメなのかもしれませんが…)や家に持ち帰ったりしていました。
ゴミの落ちている街と、
ゴミの落ちていない街、
どちらが価値ある街なのか、は明白です。(俺はスラムみたいに退廃的な空気の漂う街が好きだぜ、という場合を除く)
ゴミを拾うことは、自分の住む街の価値を上げることに貢献するのですね。
違和感を見過ごさない
今回、私が外出途中でゴミを見過ごしたことが物語っているように、普段あわただしくしていると小さな違和感は放置してしまいがちです。30年以上生きてきて思うのですが、違和感や直感を放置すると、よいことが起きないか、後悔することが多々あります。みなさんはそんな経験がないでしょうか?
先日、あるWebメディアで「20年間負けなしの雀鬼・桜井章一さんに学ぶ勝ち切る技術「ツキはコントロールできる」」という記事を見かけました。
私は麻雀をしないのですが(高校生のときにちょっとやりましたが)、8割方がツキ(運)で決まる、という麻雀。その世界で負けなしと言われる桜井さん曰く、
「例えば、普段の生活でも小さな約束事は守るよね。仮に道端にゴミが落ちていたとする。素通りする人も多いけど、俺は必ず拾ってゴミ箱に入れる。道端のゴミという〝違和感〟をそのまま放っておいてはいけないんだ。
(中略)
普段から善意ある行動をしろという単純な話じゃなく、目の前にある物事の始末を必ずつけるということ。その積み重ねが勝負の始末をつける場面では必ず役に立つんだ」
参照元:20年間負けなしの雀鬼・桜井章一さんに学ぶ勝ち切る技術「ツキはコントロールできる」(@DIME アットダイム)
環境を大事にすることは、自分を大事にすること
私が今回のブログ投稿で言いたいのは、「ゴミ拾おうよ(捨てないようにしようよ)」ということもそうです。
それにくわえて、もし道端でゴミを見かけたとき、自分の中に違和感があるなら、それは意識的に取り除いた方がきっといい、ということです。世界のどこかで、この効用を科学的に証明している人がいるかもしれませんが、少なくとも私の経験上は取り除くべきです。
だって、気持ちいいですから。
曹洞宗大本山永平寺第78世貫首であった宮崎奕保禅師も、「環境と自分とは一体である」といったことをおっしゃっています。類似のことは、他の多くの方も表現を変えて指摘しており、見逃せない視点です。
そういうわけで、家の前にあったゴミは、見過ごし2日目になりそうだった道すがら回れ右をして、処理しました。
道端のゴミでなくとも、電車の座席や職場に落ちている小さなゴミを拾うことから始めてもいいと思います。自分が身をおく環境の価値を上げ、自身を気持ちよくすることは、あなたのほんのひと手間から始まります。
ときには余裕を持って、周囲の環境に気を配ることを実践したいですね。